【2001年08月23-30日】
第4回IARU Region3 ARDF選手権大会
@モンゴル

出発の2週間ほど前に選手団に加わり、急いで旅行社に飛行機を問い合わせたところ既に席は満席!
参加を断念と思ってその翌日、何気なく地元地方新聞を読んでいたら!!
「モンゴルとの民間親善使節団が大会初日の同日出発」の記事が!!!
急いで新聞社に問い合わせ、その使節団にお願いして混ぜていただきました。

おかげで大会参加が実現しました。こんなこともあるのだと我ながらビックリです。
帰国は大会終了後の2日後ということでそこから使節団に合流し、観光 etcも楽しめました^^v


【08/23】 1日目:集合・受付

新潟空港から韓国経由でモンゴル入り。
夕方にはウランバートル到着。そこで親善使節団と別れARDFeに合流しました。
そして大会の選手送迎用バスにて宿舎のホテル入りでした。


【08/24】 2日目:公式練習会・開会式

朝食後、午前中はホテル周辺を使って公式練習会でした。
144M、3.5MのTXがそれぞれ数個配置されていました。

午後からはホテル前広場にて開会式。
その後は馬頭琴演奏やホーミー、軽業等のアトラクションがありました。


【08/25】 3日目:第1競技144MHz帯

朝食後、すぐにバスでスタート地点へ移動。
丘陵地帯の森の中がスタートでした。
そしてゴールはその近くのホテル?でした。
終わってみれば周回コースでいた。


【08/26】 4日目:休息日(バンケット)

バスにて小旅行スタート。
最初の見学地の寺院でスリにあいました TT
ほんの数秒間の出来事です。
グループ犯行で、スッた本人はすぐに自分の後ろの仲間にブツを渡しブロック!
犯人はわかるのに証拠はなしという巧妙さでした。

済んでしまったことはしょうがないと、その後の観光を楽しみました。
デパートで買物、展望台、そして草原で「羊の蒸焼き」(客を歓待するときのご馳走)が昼食でした。

ホテルに戻ると、前庭で韓国チームが焼肉パーティーを始めました。
それに各国選手を招いて下さり、久しぶりにモンゴル風とは別の味付けを楽しみました^^


【08/27】 5日目:第2競技3.5MHz帯・閉会式

朝食後に、はやりバスでスタート地点へ移動です。1時間以上の移動でした。
やはり丘陵地帯から森林に入り込んだところがスタートでした。
スタートまでずいぶん時間があり、選手は森からでたところで草原の風に吹かれて待機していました。

エリアは144M以上に細かい起伏が多く、アップダウンが多く、ただでさえ少ない体力が消耗してしまいました。
反面、道路などの目印のないモンゴルでも、その細かい起伏で現在位置を特定することが容易でした。

コースは山の峰を基本に半周回するものでした。ゴールは保養施設です。
早いスタートの選手は既にビールでのどを潤していました。

ホテルに戻って一息つくと、表彰式→閉会式→パーティです。
大会最後の夜を各国選手、大いに楽しみました。


【08/28】 6日目:解散・そした使節団合流

朝食が済むと、各国選手はそれぞれに解散していきました。
日本選手団もバスでウランバートル中心地へ。
自然とそれぞれの飛行機便ごとにグループができ分かれていきました。

私は民間親善使節団に合流し、昼前からチャーターバスで観光地テレルジへ行きました。
大会で使用していた床の抜けそうなバスとは違い、日本国内で現役使用のような豪華バスでした^^

一週間のうちに既に気心の知れた使節団メンバーに突然復帰した私は、今まで何をしていたかの質問攻めでした。
途中観光ガイドでも有名な「亀石」を見学し、テレルジに到着。
馬を借りて乗馬も体験しました。馬の半身がつかる清流を渡るのはさすがにドキドキでした。
(帰国後、ニュースで同じ頃、歌手の松崎しげるがモンゴルで落馬し大怪我のニュースを知りました)

夜は地元の方々によるキャンプファイヤー&歌踊りの歓待、そして宿泊は「ゲル」でした。

【08/29】 7日目:使節団2日目

朝起きると、抜けるような青い空とさわやかな風です。それが実感できるゲルもまた一興でした。
そしてバスでウランバートルに戻り、寺院(4日目に観た)を見学し、夕食は迎賓館へ。
モンゴルの国会議員との夕食会でした。そのときのためにわざわざスーツ&ネクタイを持参していたのです。
そこで披露された馬頭琴演奏は、これまた開会式で観た演奏メンバーでした ^^;


【08/30】 8日目:最終日・帰国

朝ホテルを出るとそのままバスで空港へ。
小一時間空港の売店でブラブラしたら飛行機搭乗でした。

そして行きと同様に韓国で乗り換えて夕方には新潟空港に到着です。

充実のモンゴルでした。